【BUMP】日々の愛しさを教えてくれた曲
こんばんは、はるです。
自己紹介でも少しだけ触れましたが、私はBUMP OF CHICKENのファンです。
兄の影響で聞き始め、かれこれ15年間は好きです。
私の心の半分はBUMPで作られたといっても過言ではないと思っています。
私は、BUMPの曲から様々なことを教えてもらっていますが、今日は「日々の愛しさを教えてくれた曲」を紹介したいと思います。
R.I.P.
この曲は、2009年11月25日にシングルとして発売されました。
2010年12月15日に発売されたアルバム「COSMONAUT」にも収録されています。
歌いだしは、次の歌詞から始まります。
そこに君がいなかったこと そこに僕がいなかったこと
こんな当然を思うだけで 今がこれほど
数年前は隣にいなかった
今は、隣にいる
友人や、家族、恋人…。そんな大切な人を思い浮かべてください。
あなたがそんな大切な人の存在を考えたとき、「こんな当然を思うだけで 今がこれほど」に続く言葉は何でしょうか。
「あたたかい」?
「楽しい」?
「大切」?
きっと思い浮かべたどれもが答えだと思います。
BUMP OF CHICKENの作詞作曲をされている藤原基央さんは、「こんな当然を思うだけで」に続く言葉をいくつかこの曲の中で歌っています。
1番サビ
そこに君がいなかったこと 分かち合えない遠い日のこと
こんな当然を思うだけで すぐに景色がにじむよ
「遠い日」、そこに「君」はいなかった。いなかったから、記憶はそれぞれのもので、分かち合うことはできない。
分かち合えない記憶、感情を思うと、景色がにじむ(=涙が出る、だと思っています)。
寂しさからか、愛しさからか…。
2番サビ
そこに僕がいなかったこと 今は側にいられること
こんな当然を思うだけで 世界中が輝くよ
「僕」はそこにいなかったけれど、今は側にいられる。記憶を、感情を共有できる、そんな当然に目を向ければ、世界が輝いて見える。
今、大切な人と、記憶や感情を共にできること。
当然のように今があるけれど、この当然は今この瞬間に地震が起きてなくなってしまうかもしれない。
この当然は、世界が輝くくらい素敵なものなのだと知りました。
3番サビ
ここに誰がいたかっただろう それが僕にもなり得ること
こんな当然を思うだけで 眠れないほど怖いんだよ
私がいま存在している場所は、誰かが必死にいたかった場所なのかもしれない。
明日、私がいたい大切な人の隣には、私がいないかもしれない。
今のこの場所は、明日の朝事故にあって、私がいなくなるかもしれない。
いつなくなってしまうか分からない当然を考えると、眠れなくなるほど怖くなる。
昔、アンネフランクの漫画を読んだ日、「明日おばあちゃんやお母さんが収容所に連れていかれるかもしれない」と考えてしまい怖くて眠れなくなったことを思い出しました。
最後に
そこに君がいなかったこと そこに僕がいなかったこと
こんな当然を思うだけで 今がこれほど愛しいんだよ
怖いんだよ
大好きな友達が、家族が、私が、過去は離れていたけれど今はここにいること。
仕事が大変だったと話が出来ること。ご飯おいしいねと笑いあえること。おはようとあいさつができること。
今のこの瞬間が、過去はなかったこと、今はあること、未来はなくなるかもしれないこと。
考えると、「今」がとても愛おしくて、怖い。
仕事が大変だと夫に愚痴ること。
おいしいご飯を食べに行こうと友達と話すこと。
「元気にしてる?」と電話をしてくれた母と話をすること。
こんな、なんてことのない日常はいつなくなるか分からないもの。
あたたかくて、愛おしい。
日常は、とても愛しいものなのだと、この曲は私に教えてくれました。
BUMPがとても好きで、記事にしたいと思いましたが…。
言語化するのは、とても難しいですね。
とても読みにくい文章になってしまったかと思います。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
みなさんの大切な日常が、あたたかくありますように。